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そろそろメモリを買い増すなり交換しないと……
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プロフィール
HN:
小夏屋(こなつや)
性別:
女性
自己紹介:
いわゆる夢見がちな方のオタク。腐った視点も持ってるっちゃあ持ってるけどあんまりメインには来ない。稀。
ゲームやアニオタかと問われるとどれも中途半端な気がして困る。

理系文系はどっちつかずの中途半端。
入力は理系、出力は文系。
誰だ今微妙とか思ったの!
お世話になりっぱなしリンク
ついーと
記事検索できればいいな
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ですね。お久しぶりです。
しかし来年は神事に参加できなくなってしまいました。

・・・・重い話なので隠しておきます。表現が敬語とそうでないのがごちゃ混ぜになると思いますが。
耐えて!様々な意味で!




2009年12月3日 午前0時43分。
母方の祖母が死にました。交通事故に因る肺挫傷だそうだ。

みくしーとかでは少し書いたのだけれど、一応こっちには全てを記しておこうと思った。

ことは6時38分頃。うちじゃ呑気に夕飯の支度をしていた頃。
祖母は自宅近くの車道で轢かれていた。
バス停の前から横断歩道のない所を向かいへ渡っている最中。
相手の人はお弁当の仕出し屋さんだそうだ。
携帯を不携帯してたから連絡先が解らず、警察屋さんは難儀していたらしい。
直線距離じゃウチが一番近いのに!こういうときのために、首掛けストラップあげたのに!
・・・・祖母の装備品には携帯という文字は無かった。・・・・携帯が重いから。
バッグの中に入っていた伝票から、小田原の親戚に電話をして、ウチに回ってきたのだ。

8時40分頃、ウチに第一報が入る。
母の訝しげな表情が段々と深刻な、苦いものに変わっていく。
それを見た父と弟と私は、出かける準備を始める。
長い夜が始まった。
仕度を終え、集合した居間に母が言った。
「おばあちゃんが交通事故に遭ったって」
このとき、皆そんなに心配していなかった。
きっと、足の片方でも折ってしまったのだろう。
そして見舞いに来た私たちを、元気良く叱り飛ばすのだ、と思っていた。
「何で来るのよ!あんた達に世話にはならないんだから!」
少しの嬉しさと、沢山の嫌悪を見せ付けて私達を困らせてくれるのだろうと。
そういう人だから。この時は、そう思っていた。

搬送された病院に着き、救急処置室の前に行くと交通科の巡査さんに会った。
前述のような、簡単な状況説明
(*事故に何時に遭われて、電話が~って話)
をされて、最後。
「今、相手方(犯人)が来ています。お会いになりますか」
ひき逃げでなかっただけよかった。会わない理由がなかった。
ただ、貴方だけの非ではないのだと、伝えたかった。

警察の人に色々聞かれ(繋がりとか、連絡先とか)たのが一段落し、
飲み物を頼まれた私と弟で1階にある自販機で用を済ますと、
処置室の前に両親は居なかった。医師に呼ばれて行ったと、他の署の警察の方が教えてくれた。
(祖母の事件の担当の署の人ではないということ>他の署)
しかし、その教えてくれた警察の方が腕章をして「警察関係者である」と
示していなかったら、確実に「怖い人」たちでしかない。
後に彼らを見た両親もそう口にした。
「ヤのつく人かと思った!」

飲み物を持ったまま、処置室前のソファで両親が出てくるのを待つ。
出てきた母の顔には元気が無い。
「お医者さんの話聞いてきたよ」
掛ける言葉が見つからない。どうしたらいい?父が簡単に状況を説明してくれた。
頭の陥没、左の肋骨が4本程と、骨盤が折れている。処置はしたが出血が止まらない。
血圧も下がり続けている。
搬送された時に検査をしたが原因がわからない。
このまま出血を続けるようであれば、危険を伴うが検査をもう一度行う必要がある。
と診断書のようなもの(家族向けに簡単に記してあるものだったから、正しくないかも)を渡されたそうだ。
説明の間、一度も「大丈夫です」「安心してください」とは一言も言わなかった。
・・・・だめなんだろうな、とぼんやりとかんじた。

説明を聞いたのを確認した警察の人に、本当に会うか、聞かれたので会うことにした。
私達を見るなり、相手の人は地面にひれ伏した。
母が伏すのやめるように諭す。夜中の病院。響く声。
「申し訳ありませんでした!
私の不注意でお母様を事故に遭わせてしまいました!
すいません!申し訳ありません!」
母に向かう声。諭す母。
「やめてください、お顔を上げてください…」
しかし、祖母も悪いのだ。いくらしんどいからとはいえ夕方。しかも季節は冬。
とっくに日没を迎えているにも関わらず、横断禁止の標識が出ている場所での横断。
暗めの色の服で渡っていたのだろう。
更には20年程前から病気で半身が不随だったのだ。
つまり、普通の同年代である70代の方とは比べなくとも解るほど動きが良くない。
にも関わらず、横断歩道がない所を渡っていった。
だから、私は相手の人を責める気にはなれなかった。
怒るには相手の人の態度が良過ぎた。私には怒れない。
起きてしまったことはどうにもならない。
ただ、祖母が元気になってくれる事を祈るだけだった。
そして連れて行かれるのを見送った。10時少し前位だったように思う。

15分位して、お医者さん。
「検査をします。原因が解らないままではこちらとしても対処のしようがない」
祖母が運ばれてきた。声を掛ける。反応してもらえて、少し安堵する。
お医者さんの顔は厳しいままだったが。
祖母を見送った後、叔父が来る。やはり顔色が悪い。当然だが。
20分位して祖母が帰ってくる。
「原因がやはり解りません。検査している間もどんどん血が出て行ってしまっています。
輸血を続けますが、万が一のことは覚悟しておいて下さい」
もう、私達ができることは、祈ることだけだった。
11時半過ぎ。お医者さんが出てくる。
「20分頃心停止しました。
今、心臓マッサージをしていますが、いつまでもできるわけではありません。
相変わらず出血の原因が解りませんし、血圧ももう測れません。血圧を上げる薬を使っていますが、30分動かなければ、こちらとしても手の打ちようがありません」
仕方ないのかな、と思う。
が、言いたいことがいっぱいある。まだ見て貰ってないことも、してあげたいこともある。
こんな二律背反したものがぐるぐると頭の中を巡る。
そんな状態のままリミットの30分。が、お医者さんが出てこない。
「おばあちゃん、こんなときに頑張らなくたって」
と弟が僅かに嬉しそうだったの、姉ちゃんは知ってる。
日付を越えた。

0時半頃。看護師さんに呼ばれる。お医者さんも出てくる。
全員が悟った。
「一度、心臓が動き始めたんですけど、また止まってしまいました。血圧を上げる薬を遣っても戻りません。これ以上やっても、本人も苦しいだけでしょうから、…最期を看取ってあげてください」
白衣を着て、祖母のベッドへ。
祖母の左側に集まる。左手を出されるが、きっと全員が息を呑んだ。左手が腫れ上がっている。
薬の関係もあったのだと思う。顔も、わき腹も、ぜんぜん違う。現実味が無い。
「声を掛けてあげてください」
だけど、母の声が、耳から離れない。叔父の呟きが消えない。
「なぁ、しっかりしろよ・・・」
母は、祖母と実の親子だけど仲が悪かった。でも、それだけじゃやっぱりなくて。
子供の頃、祖母を呼んでいたように
「ママ、ママ・・・ママ」
絶望したように離れた姿は忘れられない。
だから、葬式が終わる頃くらいまでは、私がしっかりしなきゃいけないんだな、と強く思った。
母と入れ替わりで祖母の傍へ。手は、もう全く温かくなかった。
父方の祖父の時と同じ、冷たさ。
「おばあちゃん?、・・・おばあちゃん、おばーちゃん」
奇跡なんて起こらない。私と入れ替わりで弟。
「……なんて言ったら良いかわかんない」
心電図の音の感覚が広がっていく。父は多分泣いていた。
「もう、よろしいでしょうか」
頷く。

形ばかりの聴診器。

誰が見ても解ってる。

2009年12月3日 午前0時43分。
母方の祖母は、死にました。


今更、寂しさとか悲しさとかを実感している。
月例行事であった、15日頃にくるはずの祖母からの電話が3日も来ない。
祖母の家に行くのに、なぜか手元に祖母のバッグがある。
母が持ってた合鍵ではなく、祖母が使っていた鍵でドアを開ける。
意味が、解らない。
いつも行ってたお店に行きたくない。一緒に行ったファミレスに入りたくない。
居ないんだもん。一緒にいないはずの人と一緒に居るんだ。
おかしい。なんで?なんでいないの?
でも、祖母はもう灰になって、骨壷に収まってる。おかしいね。
私がまだ現実を認識したくないってことはよーっく解ってる。
こういうのを乖離っていうんかね。体は元気なのに、心だけが沈みきっている。
学校の先生も慮ってくれてるけど、いつまでもこうしてもいられない。
年明けたらすぐに祖母の誕生日だ。今回くらいはちゃんと祝ってあげなきゃね。

お医者さんや看護師さんには感謝しています。
どう考えたって死んじゃうコースまっしぐらだったのに、6時間も永らえさせてくれたし、
私たちにお別れの時間もくれました。

今回の事で「彼氏がいればいいのに!」って初めて思った。ごめん、ばーちゃん。
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